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UNDER THE COUNTER“paper moon”に寄せて Interview with Kentaro Sekiya & Yo-hey Yoshimura text by Satomi Yamasaki (le thew)

2010年1月の渋谷クラブクアトロでのワンマンライヴをもってBa.大隅、Dr.山脇が脱退し、Vo.&Gt.関谷謙太郎とGt.ヨシムラヨウヘイにより再出発を図ったUNDER THE COUNTER。メンバー脱退のみならず、所属事務所・レーベルからの離脱という現実に直面し、五里霧中、七転八倒、日々手探りでライヴと曲作りに明け暮れた丸2年を経て、彼等がこの2012年夏、実に3年ぶりの新作アルバム『paper moon』をリリースしました。

サポートメンバーとして、大学時代の盟友でUTCの初代ドラムスであった宮澤純一郎が加わり、また2011年からは元NANANINEのベーシストであり現在THE ANDS,MIM等で精力的に活動する朱雀佑輝を迎え、果たして新たなる4人のサウンドプロダクションは、粗々しくも、よりタフなバンドアンサンブルとグルーヴ、熱量を感じさせるものとなりました。

同時に、UTC元来の魅力であったみずみずしいメロディーやセンシティヴかつユーモレスクなうたことばはさらに生き生きと躍動し、非常に訴求力の高い歌として昇華されています。

特に、ボーカリスト、ソングライターとしての関谷謙太郎のアイデンティティーがここに来てようやく牙を剥きはじめたことを物語るような6曲目「ハピネス」は、本作の肝であり、今後のバンドの羅針盤ともなる楽曲です。

そして、MIX&マスタリング・エンジニアとして迎えた石田ショーキチ(from Scudelia Audio Terminal)氏の辣腕もまた、現在のUTCの音像を生々しく伝える豊かな奥行きをもたらしてくれました。

バンドと音楽への衝動、情熱に突き動かされるままに作り上げた、新生UNDER THE COUNTERにとって初めてのーー関谷曰く「2枚目のファーストアルバム」である本作『paper moon』、新しい景色を貴方自身で確かめてみてください。

バンドというものはいくつかの個から成る有機体である。故にメンバーが変われば否が応でもバンドは変わる。同じ名を冠していても、それはもう別バンドであると言ってよい…無論、表面的な音楽の変化を求めるということではなく、バンド側の意識の問題としての話だが。失くしたものも得たものも全て背負って、真っ新(まっさら)なバンドとして立たなければ何も生むことはできない。そういう意味で、UNDER THE COUNTERにとってこの『paper moon』というアルバムは、3年ぶりのリリースであること以上に大きな覚悟を持って制作された作品だ。

本インタビューでは、五里霧中七転八倒の日々を少々赤裸々に語ってもらったうえで、今作について、今作を“はじまり”と位置づける意味合いについて、訊いてみたいと思う。

もう2年半前にもなるんだけども、そもそものメンバー脱退の経緯はどんなことだったのか、というところから話を始めましょうか。
えーと…抜けるのが決まったのは…最後のライヴが'10年の1月だから、その3ヶ月くらい前かな
夏に『DON'T LOOK BACK』をリリースして、その後だね
『DON'T LOOK BACK』を作る過程でそういう話(脱退云々)はあったの?
や、それはないね。『DON'T LOOK BACK』っていうのは、UNDER THE COUNTERが当時の事務所に居るうえでバンドを続けていく、最善の方法として作った…はずだったんだけど(苦笑)
あ、なるほど。じゃあ、それがそう(前体制でのバンド継続)ならなかったのは何故か?というと。
そーだねぇ…あのアルバムと、その前に出した『出せない手紙』と『ハローワーク』っていうシングル2枚を作った時は、所謂ギター・ロックのバンドっていうところを取っ払ったところで、なんていうか…すごい間口の広いものを作ろうとチャレンジしてた時期だったんだよね。曲もそうだし、歌詞もそうだし…打ち出し方、プロモーションだったりもそうだし。まぁホント今までやったこと無いことをやったんだよね。でも、結果は全然良くなかった。で、そういうものを作る中で…もちろん新しいことにチャレンジはしてるから、それなりに刺激だったりはあるんだけど…でもその反面、けっこう疲弊したようなとこもあったと思うんだ
制作してる段階から、疲弊していってた。
うん、もちろん一所懸命やってるから疲れるのは疲れるんだけども、それとは違う疲弊感ていうのがあって
その疲弊感は、バンド全体にあったと思う?
…そうだと思うよ。で、なんかやっぱり…なんつーのかな…まぁ俺も人のせいだとは思ってないけど…やっぱり売り方、アナウンスのされ方は納得のいかないことばっかりだったし。今でも覚えてるけど…“崖っぷちバンド”とかさ(苦笑)、別に俺らにはそんな気持ちないのに。ホント、作品としては新しいことやってたし、自分ら的にね。それに挑戦するっていうそのことでいっぱいだったし。だから自分らの音楽が崖っぷちだっていう気持ちはなかったにも関わらずそういう打ち出し方をされて。それはすごく俺としては不本意だったし、俺らのこと好きでいてくれる人にも、ああいうの見せたくなかったというかね
そういう不本意なとこも飲み込んでやったものが、売れるという結果に繋がらなかった、その結果は結果として、作品そのものに対するバンド自身の評価はどういうものだったの?
ん~…新しいことにチャレンジして成功してる部分もあったと思ってるけど、納得してない部分も、ある
納得してない部分、というのは。
…曲と歌詞っていうことに関して言えば、それまでの作品の中でもいちばん突き詰めたし、曲と歌詞そのもの自体はその時点での最良のものだったと俺は思っていて。でもそれを表現する方法論ていうところでいうと、自分たちが知らなかった自分たちの良さっつーのも多少はあったと思うんだけど、ただ、俺らのホントの武器っていうもの、芯になってる部分っていうか…信念のような部分っていうのは、ちょっと薄れたのかなっていう気はしてて。それは単純にアレンジとかの部分にもあるけど、なんていうかな…やっぱひとつどっか、俺ら自身が俺らの良さはこうだ、だからここを突き詰めたいっていう、根本的な部分に関してちょっと曖昧になってしまったというか。プロデューサーがついたりして、そういう人達との制作っていうのは非常に勉強になったしすごいいい経験にはなったんだけど、自分自身がこういうものを出したいっていう責任感が伴ってなくて、結果、信念みたいなとこが薄まってしまったんじゃないかなっていうところがやっぱりある。そこが、作品に対してきちっと責任を持てなかったことが、いちばん良くなかったと思ってますね。…まぁそれが結局、事務所を辞めて、二人(大隅・山脇)が辞めるってなった後も、俺と謙太郎は続けようって思ったいちばんのモチベーションになったんだけど。モチベーションていうか、俺ら二人がいちばん思ったことは、もし(バンドを)辞めるにしても、自分たちが作るものに対して全ての責任を持って俺らはこうですってものを作らない限り辞められないなってことで。それが二人で続けるっていう選択に繋がってったんだよね。まぁだから、『DON'T LOOK BACK』ていうアルバムに関しては、失敗作とかっつー意識は俺の中ではあんまり無くて。反省するところはいっぱいあったけど、今でもあのアルバムの曲のいくつかはライヴでもよくやるし、しっくりくるとこもあるので…まぁやらない曲もたくさんあるけど(苦笑)。だから、ひとつのターニングポイントにはなったけど、後悔ではない、と俺は捉えてるけど
責任というか…ほんとうの意味での自信を持って(作品を)届けることができたかどうかっていう疑問は残るにしても、でも…ま、ホンットに一所懸命作ったからさ(苦笑)。一所懸命作るのは当たり前だけど、例えば俺だったら、歌詞を書くことに関してはもうホント根をつめてというか、その当時一緒にやってくれたディレクターの近藤さんっていう人がホントにつきっきりで作業して、歌詞書いて。そのことは俺すごい良かったと思ってるんだ。…あれだけ人と、密にぶつかり合って作ったっていうことがね。あの時近藤さんとやったことってのは、絶対今すごい活きてると、俺それは自信を持って言える。だから、わけわかんない渦の中で作ったアルバムでも、一個も手は抜いてなくて。だからこそ、俺はその後に、なんかものすごい良いアルバム出来んじゃないかと思ってたんだよね。その時メンバーにも言ったんだけど、次作ったらすげー良いアルバム出来ると思うよ、だから作りたい、って。でもそこでそれぞれ一個人としての色々、生活のこととかそういう問題が出てきて。二人ともホントに悩んでたしね。バンドが嫌になってとかやりたい音楽が違うからとかそういうことじゃなくて、ひとりの人間としてのこれから先を考えたところで…まぁ、二人は辞めるって答えを出したんだけど
で、二人はバンドを続けてくことを選んだ。自分たちが本当に作りたい音楽、作品を作ってもう一度届けるっていう気持ちで。
とはいえ、具体的なビジョンは全くなかったんだけどね(笑)
ビジョンはないけど、気持ちだけあるという状態で、まずどういうところから二人は各々スタートしようとしたのかな。
俺の個人的なモチベーションとしては、やっぱ俺はギターがギャンギャンうるさい、主張するような音楽を聴いて育ったので、そういうものをUNDER THE COUNTERでも表現するってことが自分の立ち位置だと思ってやってきてたんだけど、『DON'T LOOK BACK』を制作する過程では多少それを引っ込めて、別アプローチで歌を引き立てたりとか曲に彩りを加えるってとこを突き詰めて作ってて。でも、そういう作業をしてく過程で、すごい参ってしまった部分もあって。これは俺の得意な部分じゃないなって。だからもう一度自分の得意なことをやりたいっていうのと、さらに遡っていうと、もう一度バンドを始めたときの無邪気な楽しさを取り戻すってことから始めたいな、と思ってた。だからほとんど、ハッタリだよね(苦笑)。サポート入れてなんとかライヴはやるけど、最初はリハビリみたいなライヴしかやれてなかったと思う
俺はねぇ、大隅さんというメインのソングライターが抜けて、俺が曲を作っていくっていうことで、ホントあの時期は、俺にどういう曲が書けるんだろうとか、そもそもどういう曲を書きたいんだろうとか、そういうことを考えてたねずっと。で、なかなか形にならなくて、もがいてた、と思う
なるほど…まぁ正直、メンバー脱退とかメーカーやら事務所やらを離れるとかってことはそんな特別なことではないというか、バンド界隈にはけっこうよくある話で。大事なのはそういう状況でもバンドをやる、続けるってことを自ら決めてやる時に、じゃあ自分の音楽をやるというのはどういうことなのかっていうのを徹底的に考えられるかどうかってことだと思うんだよね。だって、どんな状況であろうが何も持たずにステージに上がることほど虚しいことはないし、見てる人にも何の意味もない。じゃあそこでその時に、もがきながらも二人が何をしてどう音楽と対峙していったのかということを訊きたいんだけど。
あのー…最初に手伝ってくれてたベーシストが辞めて、それから俺、弾き語りをひとりで始めたのね、バンドでライヴできないから。そのくらいから、なんか個人的にね、曲が、バンドでやるとかそういうこととは全く関係ないとこで、自分が歌いたい曲とか歌いたいこととか、そういうものが…何の衒いもなく出てきて。自分的にはこう…歌っててすごく、自然な、というかね、俺の歌だなあというか…そういう曲がポツポツ出来始めてきたんだ、ひとりでやり始めたことによって。それがたぶん、大隅さんと祐湖さん抜けて半年、もうちょっと後くらいだと思うんだけど。それまでは、俺がソングライティングするっていうことで、かつ、このバンドで形にしなきゃいけないっていうことで、ホントにカッコいい曲が作りたいし、それをバンドで形にしたいんだけど、二進(にっち)も三進(さっち)もいかない(苦笑)。すごくもがいてたし焦ってた。それこそ、変わらず来てくれるお客さんとかも居て、そういう人達に一刻も早く、前よりいいだろ!つって、そういう音楽を聴かせたいしライヴを見せたい、でもその気持ちとは反対に二進も三進もいかないっていう現実があって。でも、一度バンドでライヴができなくなって、ひとりでやり始めたら、そういう焦りとかもがきとは別の感じで歌が出来てきた。例えばこの曲は(UTCでやるには)派手か?とか、そういうとことは全く関係ないとこで、今はこう思うからこう歌うよとか、そういう自然な曲が出来始めてきてさ。だからその時点、ひとりで弾き語り始めたって時点が、俺が曲を書くっていうことの、ホントの芽生えっていうかいちばん最初のスタートだった、と今は思うんだよね。そこで初めてUNDER THE COUNTERも音楽っていう土俵に立てたんだと思う
それは、音楽をやる者としての関谷と、いち生活者としての関谷という境界線のないところで音楽がやれる、っていう感じでもあったのかな。
あぁ、うんうんうん、そうだね
そこでじゃあ、バンドが何をすべきかっていうビジョンが見えてきた。
そうだねぇ、うん、これをバンドで形にしてみたいなっていうふうに、やっぱ思い始めた

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